ストーリーズ
砥部焼とわたし1977#004
ストーリーズ「砥部焼とわたし」
1777年(安永六年)に門田金治や杉野丈助らにより、砥部にて初めて磁器焼成に成功してから200年後の1977年(昭和五十二年)に砥部焼磁器創業二百年祭を記念して、発行された「砥部焼とわたし」。有名陶芸家をはじめ108名の方が、砥部焼との出会いや、つながりなどそれぞれの思いを綴った随想集を砥部焼協同組合の協力により紹介していきます。
復興期とも云うべき現在を心から喜ぶ
迂闊なことであるが、私が砥部を知ったのは戦後のことである。それは故井上正夫先生の胸像制作の資料集めに砥部に出かけて行くことになった為である。したがって事実上砥部焼の性格の片鱗を知り且つ感動したのも此の時である。
このこと自体をなぜだろうと自問した。私は同じ県内の西条市の山峡で生れ十代の終りまでそこに居た。
其の私の生家で日常使用していた食器類の多くは瀬戸物であった。又来客用で揃った物は大方九谷焼であった。其の上街の瀬戸物屋の店を総称して唐津屋と呼び、そこに砥部焼を見た記憶もないのである。このような環境の中に生活し関心も無かったので遅くまで砥部焼というものの実体を知らなかったのである。
然るに其の砥部焼が現在の我が家にて主役を勤めるようになっている。其の主なるものは先年新宿の伊勢丹で入手した和食器の一揃いを始め花器等である。
日本橋高島屋に行けば沢山の商品の中に幾つかの砥部焼を見つけ出すことが出来る。其の高島屋でいつだったか何故砥部焼をもっと並べないのかと注文をつけたことがある。ところが売場の責任者らしい人が態々出て来て「御品もいいしそうしたいのですが私共が希望しても品物が揃わないものですから」との返事が返ってきた。ともかく需要があるのに供給の方が思うにまかせられないということであった。真偽のほどはわからないにしても内心嬉しい想いをしたものである。
高島屋の斜め向いの丸善のクラフトセンターに行っても、私の好きな砥部特有のゴスの渋い色の筒物が見られる。
これだけ熱愛し私の心を虜にする砥部焼だが気になることもある。先に触れた拙宅の食器セットの中にも型の上で今少し何とかならないだろうかと思われるものがある。又使用上不都合なものもある。これは形の上での美を求める余りに生じた結果であろう。花器は別として砥部焼は概して厚手が多いような気がする。他の産地の物と同じ厚さでも見た目には厚く感じ、悪く云えばぼてついているといったところがあるのはどうしてだろうか。一説にはそこが狙いだと伺ったこともある。使用目的によっては京物とまではいかなくても薄手も作ってみてはどうだろうか。砥部の材料では出来ない問題でもあるのだろうか。又型物が多いように見受けられるがロクロでの生産性を高めるのは企業として営業に支障を来たすのであろうか。
富本憲吉先生をはじめ多くの先生方の良き御指導を得て砥部は生れ変り天下に其の存在を認められた復興期とも云うべき現在を心から喜ぶものである。又このことは作家と企業の間に深い関係があることを実証している。砥部の一品作家の向上を期待し発憤を祈るに切なるものがある。
幸いに将来を嘱望される芸術大学出身の若い者が加わるなど砥部を上げての研究と努力が続けられていると聞く此の現実を静かに見守って行きたい。
ほんとうのところ砥部焼の本質が何であるか素人の私には良くわからない。ともあれ伝統を大切にしながら工芸品本来の用を兼ねた美の追求に徹していただきたいものである。
故梅野鶴市先生の銅像の色の状態によっては手入れを必要とするので其の内確かめに現地を訪ねたく思っている。其の際好きな砥部焼にも接し得られるであろうことを楽しみにしている。
ところにより御耳障りなことも申し上げましたが御諒恕賜りたい。
伊藤 五百亀 / 彫刻家
本書P8-10より引用
ストーリーズ「砥部焼とわたし」#005はこちらよりご覧ください。
1977年(昭和52年)出版「砥部焼とわたし」の随想集より
出版元:砥部焼磁器創業二百年祭実行委員会編
協力:砥部焼協同組合