ストーリーズ

砥部焼とわたし#006

ストーリーズ「砥部焼とわたし」

1777年(安永六年)に門田金治や杉野丈助らにより、砥部にて初めて磁器焼成に成功してから200年後の1977年(昭和五十二年)に砥部焼磁器創業二百年祭を記念して、発行された「砥部焼とわたし」。有名陶芸家をはじめ108名の方が、砥部焼との出会いや、つながりなどそれぞれの思いを綴った随想集を砥部焼協同組合の協力により紹介していきます。

民窯の里らしい、静かな熱気

 近頃は齢をとったせいか、食べるもの見るものすべて淡白なものがよくなった。やきものにしてもがそうである。唐九郎の言葉ではないが、女の長襦袢のような京焼の絵の勝ったものや、柿右衛門の赤絵もいいにはいいが、やきものの地を生かした備前、志野、それに白磁や染付に、やきもの本来のしみじみとした味わいを見出すのである。
 私と砥部焼とのかかわりあいはまだ十年にも満たない。といっても生れが松山市の今出なので、少年の頃から砥部焼には親しんでいる。郷土の名産といえば、深い知識は無かったものの、伊予絣と低部焼はたえず頭にあったようである。
 生前私の父は大変食器にうるさく、客をもてなす器は必ず自分で選んで買い求めたようである。明治の慶応に学んだ父はハイカラな方だったが、西欧の料理では食器は大切な要素だと、口ぐせのようにいっていたのを覚えている。そのせいか父が大切にしていた食器類は戦争中地下に埋めたので助かった。戦災後掘り出してみると、九谷や京都にまじって砥部と思われる染付の徳利が出て来たのを今もはっきり記憶している。したがって砥部焼と私とのかかわりあいも、かれこれ六十年に近いともいえるが、本当に心にとめて砥部焼に近づいたのはごく最近のことである。
 私が四十七年の二月、NHKを定年退職するとき、たまたま或る知人から唐九郎の志野茶碗を記念にもらったのがきっかけになって、茶碗の美しさにひかれるようになった。その頃県立図書館長をしていた永田政章さんが、上京の都度NHKを訪ねて見えた。話がたまたま茶碗に及んだとき、砥部の茶碗を一つ物色してもらうことにした。間もなく先生から届いたのが梅野窯の工藤省治さんの茶碗であった。美しい青白の地にほのかに白く天の三文字が散らしてある。青空に舞う天女のようでもある。私はこれに「飛天」と名づけて愛用し、これが砥部の腕だと人毎に自慢をしている。たしか永田さんが工藤さんの個展で見つけ入手してくれたものだが、いかにも砥部らしい色合で気品のあるのが好きである。

 私が砥部焼に急に傾いていったのはそれ以来のことである。或る日永田さんの案内で砥部の里を訪ねる機会に恵まれた。丁度蜜柑の花の匂う頃で、かつての柿の里は大変な変りようであった。梅野の窯場を訪ねると、日展だ伝統工芸展だといわれる中で、黙々と日用雑器に取り組む大勢の工人さん達の真摯な姿があった。いかにも民窯の里らしい。かつて益子の佐久間藤太郎さんの窯場を訪ねた時と同じように、静かな熱気のようなものを感じた。紹介された工藤さんはまだ若い気鋭の陶工であった。国際陶芸展に出品する唐草文様の大皿と取り組んでいる最中で、実におだやかな口調で制作の苦労話をしてくれたものである。
 梅野窯で素晴らしいと思ったのは作品陳列館である。ここでは砥部焼の歴史を作品を追ってたどることが出来る。素人の私にはさまざまの発見があった。永田さんの解説をききながら、大下田の古墳から子持ち高坏の出たことや、五本松の庄屋伊藤五松斎の見事な錦欄手のやきもの、白高麗にも塁を摩すといわれた淡黄磁の出現など、すべてこの時の新知識であった。
 それ以来、私の郷土のやきものに対する評価と関心は一層高まり、身辺には工藤さんの作品が集まるようになった。唐草文様染付の大壺、白磁の花活、染付のそば猪口などが次々私の心を満たしてくれたのである。
 その後再び砥部を訪ねた時、町の商工会議所展示場で、教育委員会編集の「砥部焼の歴史」が目にとまった。その時は旅の道中なので荷物になることをおそれて見送ってしまったが、あとになってひどく読んでみたくなり、会議所に照会したところ既に売り切れとのことであった。半ばあきらめていた矢先、話を聞いた工藤さんから或る日突然その一冊が届けられた。重ね重ねの好意が嬉しく、むさぼるように読んだものである。周到綿密な編集で砥部焼の歴史はこの一巻につきるといってもいい。杉野丈助の焼成の苦心をはじめ、井上正夫がかつて荒仕子の一人だったことや、柳宗悦、浜田庄司、冨本憲吉、バーナード・リーチと砥部焼とのかかわりあいもこの本で知ることが出来、興味はつきなかった。

 最近とかく虚飾がちの成熟社会にあって、簡素な民芸品の美しさを再認識しようとする動きのあることはまことに喜ばしいことである。雑器の持つ美しさは決して華麗とか優美とかいうものではないまでも、素朴な中に健やかで強い美しさがある。実用に耐える強さ、不必要な美を造作しない無心、安く売るための質素さが民芸品の誕生を決定づけている。その点からも、用と美をかね備えた砥部のやきものはさほど高価というものではない。私は松山に旅する友人には、是非砥部の里まで足をのばすことを奨めているが、旅行者でも手頃に入手出来る砥部焼を、郷土の名産として誇りたいためでもある。
 「柿熟れぬ素焼の揮毫も興あらめ」これはかつて戦後間もなくNHKの松山局に在勤中、酒井八四郎さんに砥部焼の放送をしてもらった時の冒頭の一句だが、今度砥部を訪ねる時には工藤さんとの合作で、下手な歌の一首も書きつけた飾り皿を作り、ふるさとを偲ぶよすがにもしたいと思っている。

大原 知己 / NHK厚生文化事業団常務理事

本書p15-18より引用

ストーリーズ「砥部焼とわたし」#007はこちらよりご覧ください。

1977年(昭和52年)出版「砥部焼とわたし」の随想集より
出版元:砥部焼磁器創業二百年祭実行委員会編
協力:砥部焼協同組合


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