ストーリーズ

WSR interview #001:白潟八洲彦

Whetstone Research(WSR)

「Whetstone Rsearch(WSR)」は、砥部焼の可能性を探索するために、陶石を未来へつないでいくための活動です。


240年、繋いできた意思。砥部焼の未来へ。

今、砥部では砥部焼の存続に関わる大きな困難に立ち向かっています。
それは砥部焼たる所以ともなった、「伊予砥*」とよばれる陶石原料の供給が危ぶまれていることです。

砥部の陶石の歴史は、奈良・平安時代から切り出されていたといわれ、1777年に砥石屑を使って磁器を生産することに成功したことから、現在の砥部焼産業が始まりました。
かつては20〜30箇所の鉱山から採掘されていた陶石も、現在では一箇所のみとなっています。

人手不足や材料費の値上げの影響から陶石の供給が減ることで原料費の高騰を抱え、さらに時代の変化に伴い「やきもの」食器の需要が減少している状況など、砥部焼産地として存続の危機を迎えています。

これまで産地で採れる石にこだわり続けていた砥部として、あらためていま、砥部焼とは何か?と問われています。

*砥部・外山の砥石山から切り出される良質な陶石

白青は、2018年に公開したインタビュー記事「砥石のまちからやきもののまちへ – 陶石原料からみる砥部焼の歴史とこれから」にて、当時から同じく課題意識を持って懸命に立ち向かっていた、故・梅野 周三(廣梅窯)さんと意思を共有し、これまで何度も砥部の未来について議論を重ねてきました。

故・梅野 周三(廣梅窯)
2018年公開インタビュー時

突然の死から3年の時を経て、再びその意思をつなぎ、砥部焼の可能性を探索するために陶石を未来へつないでいく活動を始めます。


第一回は、砥部を代表する砥部焼伝統工芸士であり、独自に陶石の探求を続けている八瑞窯の白潟八洲彦さんにインタビューを行いました。

WSR interview #001
白潟八洲彦(八瑞窯)

昭和14年5月26日生まれ。
1955年より砥部焼の製作を開始し、1970年に八瑞窯を創業。
ろくろによる大物づくりをテーマとして製作活動をつづける砥部を代表する砥部焼伝統工芸士。日本伝統工芸士会会長賞受賞。伝統工芸功績表彰受賞。現代の名工・卓越技能章受賞。黄綬褒章を受賞。愛媛県無形文化財認定。など他受賞歴多数。
代表作は「生命の碧い星」。高さ210cm、幅105cm、重量300kg。国連創設50周年を記念し、「世界平和」と「地球環境保護」を祈念して、国境が描かれていない地球儀を製作。国連欧州本部に寄贈され、J.F.ケネディーセンターにて展示。現在は、砥部町が行う「砥部焼陶芸塾」の講師として、砥部焼の技と文化の継承を目的に陶芸家を目指す若手の支援・指導を行っている。

ー 今、砥部や陶石について思うこと

砥部に陶石が有ることは本当に奇跡です。
そもそも、地球上で陶石は中国大陸、朝鮮半島、タイのランパーン県と日本列島の4カ国に産するだけと言われています。
その中で、砥部の砥石は石鎚山などがまだ火山活動時代の一千五百万年から一千二百万年前頃、安山岩や流紋岩の原岩へ熱水変質作用を受けながら二百五十万年ほども掛けて陶石化されていたとされています。
その陶石は灰色安山陶石、黒雲母安山岩陶石と流紋岩陶石を産しており、これほどの原岩が約東西8km、南北5kmの狭い範囲内に有ったこと。
これはおそらく砥部だけの不思議で最大の魅力で、最大の財産です。

砥部の陶石には、「灰色安山岩陶石」、「黒雲母安山岩陶石」「変質流紋岩陶石」の3種が有ることがわかっています。現在、砥部の土として主な陶石は上尾の「灰色安山岩陶石」のみですが、
本来、この砥部の資源を生かす砥部焼の坏土づくりとは、

①一ヶ所の石だけで土をつくらない(シバリング)
②より多くの場所の石を混ぜる
③砥部川の東側と西側の石を混ぜる④何処の石が出てきても余毛(川登り)
④何処の石が出てきても、余毛(川登)の石を3割入れる

と伝えられています。
これは、砥部焼が始まってから240年続く先人たちの経験から得た伝言です。
これまで知らなかったことが、様々な方の協力によってようやく知ることができました。

今、この伝言を頼りに、砥部焼陶芸塾の塾生の皆さんと協力し、方々で陶石探りから始めています。
そしてようやく県の窯業技術センターの設備協力の元、可能性のある坏土ができました。
その土でロクロを挽いてみると、実に感触が良いので、砥部窯元のみなさんに試してもらいたいと思っています。そして、これを元に今後より使いやすい坏土づくりへ進むことを願っています。

ー あらためて、砥部焼とは何か?

砥部焼の歴史は、1777年に当時大洲藩の藩主・加藤泰候(かとうやすとき)の命を受け、杉野丈助(すぎのじょうすけ)が磁器づくりを成功させたところから始まります。

そこから240年以上、今まで絶えず繋がれてきたこと、いまだに底尽きることなく石が採れることは本当に奇跡だと思っています。
だからこそ、砥部で採れる石を焼いて始まった歴史が砥部焼そのものだと。

しかし、今の砥部は一箇所でしか石が採れていないため、本当に良い坏土づくりとしては課題があります。
60年ほど大物づくりを続けていると、良い土はつくりたいものに対して勝手に導いてくれるという感覚があります。
本来の質の良い砥部焼をもう一度追求するために、あたらしく砥石を採れる場所を探していく必要があると思っています。

まだまだ、砥部には良い石が眠っていて、新しい石を見つけることが今の喜びでもあります。
そして、先人たちが火を絶やさず繋いでくれたことに感謝し、これからの人たちに伝えていくことが自分の役割だと思っています。

Edit : Tatsuma Hino
Photo : Youhei Sogabe


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