ストーリーズ

砥部焼とわたし#009

ストーリーズ「砥部焼とわたし」

1777年(安永六年)に門田金治や杉野丈助らにより、砥部にて初めて磁器焼成に成功してから200年後の1977年(昭和五十二年)に砥部焼磁器創業二百年祭を記念して、発行された「砥部焼とわたし」。有名陶芸家をはじめ108名の方が、砥部焼との出会いや、つながりなどそれぞれの思いを綴った随想集を砥部焼協同組合の協力により紹介していきます。


其の火を消さず守って来た

 大正八、九年の頃私の父は海産物の行商をして居りました。私が父の商売の手伝いをする時が盆と季節の二度の掛取(商品貸付の集金)をする事でした。五本松の上、下向井窯と奥山の仲田窯、川登の佐川窯と岩谷口の守本窯、大谷の梅原窯等へ働きに出て居る人達に貸し付けて居る口数が多かった事でして窯の勘定が出来たから集金の率がよいぞ、どこそこの窯は勘定が未だだから今行っても駄目だとかいう大人の話をよく聞きました。
下向井の窯がとうとう駄目になったなどの声も此の頃の出来事でした。

 白く乾く長い生の花活
 棚板をはう様に並べられた白い茶碗
 春の陽が暖かく笑い声に乾く
 山添いに這う登窯其の足場に長き職場
 音もなく廻るロクロの土
 想い出を吹き渡る風荒れはてて今は
 昔ぞながるる (下向井の窯跡をしのびて)

 私と砥部焼との関係はこの頃から有ったともいえるかも知れません。大正十一年私は砥部郵便局へ勤めに出ましたが生来商売の好きな私故、十二年勤めた郵便局を退職しまして友人の梅野栄次郎氏が制作して居りました新様華器を主として四国、中国、山陰、山陽地方を地盤とする出張販売の道へはいりまして以来切っても切れない砥部焼を生活の拠所として来ました。当時の華道界は池の坊、未生流、遠洲流等が多く草月流、小原流等は台頭期でして新様華器は京都物が一部で後は梅野栄次郎氏窯の新様華器が其の大半をしめて居りました。素人の商人の事とて苦しい事も多々有りましたが、店に出向いて「砥部焼きですが」と申しますと、「あ、砥部焼ですか」と面倒もなく納得して下さる方々が多く先人の開いてくれた暖簾の有り難さをつくづく感謝したことでした。
 砥部焼試験場の寺内先生が観音経を唱えつつ立観音像を刻まれたという愛媛新聞の記事と共に東京地方の斯の道の人々の間に名高い話です。寺内半月先生ぼの観音像も知る人の下に大切に仕舞われていることでしょう。 

 今でこそ忌まわしい戦争と言えますが当時は大東亜共栄圏即聖戦という言葉で戦争へと時代は突進しました。政治と教育の力の恐ろしさをつくづく感じます。長男、二男、三男まで戦争に男の子を召し出されし梅野商会窯御主人の鶴市氏は町長として銃後の町政に当って居られ、工場を見る男子が居りませんでしたので私に来てくれぬかとのことでして御役に立てぬ事乍ら御引き受けしまして二年半御留守もりの心算で参りましたが御役にたてずの二年半を恥ずかしく思い居りますが、思い出は私の一生の内半分位をしめて居る気が致します。
 勤労挺身隊の女子青年団員が窯の外に出て空中戦を望める危険を叱り、国から指定の電磁器作りに精出した事でした。
 終戦の近い昭和二十年頃か身体が十分でない職工が善通寺師団へ召集され入営間もなきに帰郷して居りますので、どうしたのかと聞きますと、上官より「御前は陶器の出来る処の者故、茶碗や丼が軍に入用だから入手してこい」との事でして当時は軍に於いても陶器が入手困難の時とて竹の節を残して切り代用していたとの事も今は思い出話です。
 敗戦後昭和二十二年ですか生産者、販売人、部外の有志の方と合同で砥部焼販売所と言う会社を作り不況下の砥部焼きを其の会社で一手に買い取り販売も一手で行う事と成りましたが僅か二年あまりで倒産しました。 

 不況時代の砥部焼を僅か二年位でも其の火を消さず守って来たと自負して居ります。鳥取地方に大災害が有り市の中心部が全焼した事が有りました。町長の梅野鶴市氏は自家製の茶碗、皿等を御見舞に罹災民に贈りました。私の得意先の店も分配を受けたそうでして焼け出されて何もない時の贈り物だったので大変喜んで砥部の人というだけの私に礼を言われ梅野町長へも呉々も宣敷きとの事も思い出です。鳥取市内の古物商の陳列に淡黄色の尺三尊式が出て居りますので近付いて懐かしく見ました。下向井の製品でしてラ印(六掛)のレッテルが貼って有りますが其の出来のよい作、水引見て居て頭の下がる思いでした。この様に一品々々手を入れた品、これでは工場経営も成り立ちますまいが。当時の窯屋さんの心根が見えた様に思い出されました。然し其の様な立派な品を作る事に依って砥部焼の名声が世にうたわれたことは事実です。形はなくなったけれども向井窯の名と淡黄磁という事実は砥部焼の歴史に光彩を放ち続ける事でしょう。私に取っては砥部焼によって子供も太り親も送りました人生です。砥部焼の祖先に感謝して其の名を恥かしめない砥部焼を後世に残して戴く其の事が孫への務めではないかと思われます。
金岡 寅男 / 陶器商

本書p28-31より引用

1977年(昭和52年)出版「砥部焼とわたし」の随想集より
出版元:砥部焼磁器創業二百年祭実行委員会編
協力:砥部焼協同組合


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